「ライブでもやらな、やってられへんなぁ・・・。」
そんな言葉が、『ぼちぼちライブ』の始まりでした。
1995年1月17日、午前5時46分。
予想だにしない勢いを持つ、天災という抗い様も無い力によって、私達の故郷は崩れていきました。
「なんで神戸なんや!?」
・・・やり場の無い気持ちを言葉に表すのもとぎれとぎれの同郷人・・・。
神戸のFM局で働く、ある人にこう言われました。
「僕もこんな状況でただでさえつらいのに、こぞってやってくるチャリティーの企画は、口に出せないほど中身ひどいんよ。
実際は、みんな被災者の事なんか考えてへんねやろな。あなたが、ライブで得た収益金を寄付したいというなら、
うちらよりも、ぜひとも、被災地の子供達の為に役立てて欲しいわ。うちらは何とか自分の力で壊れたものを元に戻せる。
だから、うちらはええ。子供達の為に、なんかやったって。」
その言葉を元に、坂上がたどり着いたのは、神戸市東灘区に建設された“レインボーハウス”でした。
阪神大震災で、最愛のお父さんとお母さんを亡くしてしまった子供達。あなた達はどんなにか尊い存在でしょうか。
初回の’95年は、坂上とEMIの“ROSALIA”時代を支えて下さった東京・吉祥寺のライブハウス、
シルヴァーエレファントを貸切にして始めた『ぼちぼちライブ』。
回を増すごとに、たくさんの人々の助けを得ながら、坂上とEMI、念願のホームグラウンド、
神戸チキンジョージにて開催されることになります。
チキンジョージでのきっかけを作って下さったのは、正木毅さん。
東京でやっている『ぼちぼちライブ』のリーフレットを見て、「なんでうちでやらへんねん!」・・と、行動を起こして下さったのです。
「ほんまにええの?チキンでやっていいの?」私とEMIの喜びは、それに等しい言葉になりませんでした。
『ぼちぼちライブ』は、いわゆる寄付金が幾ら、などという事を目的としたライブではありません。
なぜなら、出演者自身が、故郷を無くし、大切なものを無くした者ばかり。
運命のときに東京にいて、苦しみを故郷と共に分け合えなかった私達が大切な「必ず帰る場所」に対して出来ることは、「音楽」。
その思いを込めたライブなのです。
そして、被災地で光を放ち続けているミュージシャン、遠方から駆けつけて下さったミュージシャン達と共に、1月の記憶を明るい思い出にする、そんなライブを続けていきたいのです。
“レインボーハウス”を運営されている【あしなが育英会】さんは、
病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、親が重度後遺障害で働けない家庭の子どもたちを物心両面で支えておられる民間非営利団体です。
現在では、阪神大震災に限らず、その後に起きてしまった東日本大震災、熊本地震、あらゆる災害での【あしなが育英会】さんサポート活動に、『ぼちぼちライブ』の収益金を、役立てて頂いております。
そして、2020年からは、
コロナに立ち向かう我らがチキンジョージさんにも、
寄付させて頂くことになり、
皆様の熱い応援をプリズムのように反射させてお届けしています。
アートの部屋
熊のぬいぐるみ
音楽室
落書き
普段は、大人は、こちらの職員の方とボランティアの方々しか入室できないのですが、特別に見学させて頂くことが出来ました。
それぞれの部屋にはかわいい看板がついていて、入室する人は、この施設の玄関からずっと靴を履かずに裸足かスリッパ・・。家庭のような雰囲気を大事にしているのだそうです。
子供たちのストレスを解消するいろんなタイプの部屋があり、大勢でお話できるところ、遊べるところ、一人きりになれるところ、暴れられるところ・・・いろいろあります。音楽室もあって、これには一同「おお!」と感嘆の声。ここで練習した人達が、将来ぼちぼちライブで演奏してくださったら嬉しいですね。
573人の震災遺児の人達・・・、癒されることへの大変さをかみしめました。