2002年3月 初日 

 

 

1日(金)

 

 K氏から演出監督に任命される。演出とは中国では“公演、ライブ”の意味。監督、というと偉そうだが、ただ単に、ARKのライブがスムーズに運ぶよう、スタッフにやいやいうるさく言う仕事である。中国本土初のライブハウス、というのが売りの新天地ARK。それ故に本番中のミス、不手際は本当に多い。日本のライブハウスを見慣れてきた者にとっては“当たり前”の事が、ここでは全てが“第一次(最初)”なのである。毎日毎日、確認しなければならないことだらけ。“歌手・演出監督”という肩書きと新天地ARKのロゴが入った名刺、ちょっと嬉しい(笑)。

 

 

2日(土)

 

 本日は、なんと桂三枝師匠の公演。ARKで、日本のお笑いをやるのは初めてじゃないかしら。TVではよくお目にかかる人だが、高座で落語をする桂三枝さんは初めて拝見した。さすが!本当に面白かった。ちなみにお客は、上海に住む日本人ばかりで、チケットは前日までに完売。

 

 

4日(月)

 

 朝、とても寒くて目が覚めた。6時。見てみると電気毛布の電源が切れてる。ええ~?壊れたの?寒いわ~。悪い予感がして、ぶるぶる震えながら他の電気も確認してみた。・・・・電源が入らない・・。ブレーカーか?でも、昨日もそれほど電気は使用していない。ましてや寝てる間なんて・・。この部屋のブレーカーは昔ながらの金属線をネジでとめるタイプ。しかも部屋の外に設置されている。確認するのも寒い・・。もし切れてたら自分でちゃんと換えられるかしら。でも、きっとブレーカーじゃないわ・・・。震えながらもう一寝入り。ARKに出勤する時、管理人室の前を通ったら、やっぱり!“停電”の告知。確認してなかったのがいけなかったな。しかし停電時間を見てギョッとした。朝4時半から夕方6時まで。朝も昼も夜も家事出来ないんじゃない?

 

 

8日(金)

 

 A・A・S、2度目のリハ。Key.のSHAOさんだけ違うコードを弾いていることが多いので「みんな同じ譜面を使っているのか。」と聞いたら、それぞれが自分のパートをコピーして、譜面を書いてくる、と言う。SHAOさんの譜面をチェック。なんと!コードが無い?全部数字。C=1、D=2、・・・という表示で、一度に何音も引く(コードを押さえる)場合は、数字を縦に並べて書いてある。「参ったなぁ・・。」しかしながら、コードネームはコードネームで理解していらっしゃるようでこちらの指摘は分かってもらえた。一安心。

 

 

10日(日)

 

 夜、NHK-BS2の宇崎竜童氏ARK出演番組、放送日(1月25日収録)。K氏宅のマンションで観る。いいなぁ、日本の番組が見られるなんて。本来は、上海で衛星放送を設置すると罰金である。さすが外国人専用マンション。法外だ。番組は、とてもかっこよく創られていた。宇崎氏と、ARKに出演している上海のロックバンド“BLUE GARDEN” とが『アイデンティティ=自己理解』をテーマに互いに一日で一曲創り上げる。・・・翌日、全くテイストの違う2曲が生まれていた。それを、今度は全員でアレンジ。数日後、ARKでの“BLUE GARDEN”ライブに、宇崎氏が出演、この2曲をセッションした。「探していたものを上海で見つけたよ。」・・宇崎氏の言葉が嬉しかった。

 

 

12日(火)

 

 A・A・S、3度目のリハ。新しいこのバンドでは、一曲仕上げるのに、まだ時間がかかる。最小限の曲数に絞り込んで、リハに臨んだ。それでも、8曲はある。遠慮はしていられない。どんどんメンバーに注文をつけていく。メンバーは、その度に柔軟に対応してくれた。音楽とはすごい。最初の顔合わせでは、ほとんどTORAさんに通訳してもらわなければ対話が出来なかったのに、今は、(中国語が上達したわけではないのだが)大体の意思疎通が出来る。伝える前に、私の顔色で何らか分かることもあるらしく、バンドだけでチェックし始める。リハ途中、モニターが聞こえなくなった。PAブースに手で合図したが、よく見ると誰もいない。仕方なく続けたが、その意識の低さにだんだん腹が立ってきた。生まれて初めて、歌ってる途中に怒鳴った。「I CAN'T HEARRRR!!!×××」。バンドの音が止まり、周りの人が、ブースの外の“どこか”にいたPAを呼んで来て、訳している。そのくらいの英語、分かんなさいよ。そのくらいの中国語、とっさに出て来ない私も私だけど。側にいたWANさんに「ステージで音が出ている間はブースから離れないで。」と加えて訳してもらった。いいかげんにしてくれ、本当に!夜、14日からの初ライブを撮影してくれるELENが上海入り。JUDY ONGG BANDのDr.のKATSUMIも一緒に来た。はるばるきてくれた彼女達にもいいライブを観てもらいたい。

 

 

 

14日(木)

 

 上海初ライブ、初日。看板バンドの“ARK ALL STARS(ベタな名前だが)”のヴォーカルとして出演する。いよいよこの日がやって来た。昼12時、ARK事務所に入る。今日から三日間、とにかく“歌う”ことに集中しよう。昨夜は、あまり眠れず。私だけではなく、関係者全員が、この日を緊張して待っていたに違いない。もし、私の歌や音楽がお客様に受け入れられなければ、ARKが坂上伊織という日本人歌手を所属させた事は、“失敗”である。でもARK幹部陣は、もちろん余計な事は言わない。笑顔で「頑張って!」と肩を叩いてくれた。

 ARKの事務所では、大きなテーブルを囲んで、皆で昼食をとる。メニューは、ライブハウスから届く数種類の料理、そして、事務のKOUちゃんや経理のCHENさんが炊いてくれるご飯。毎日美味しくて、東京では絶対に無かったご飯の“おかわり”をするようになった。今日は、ELENも一緒にテーブルを囲んでランチ。ただでさえ“おかわり”をするELENなので、炊飯ジャーの中身はみるみるうちに減った。

 昼食後、TORAさんとMCの打ち合わせ。“ARK ALL STARS”のライブでは、何故かこれまでメンバー紹介が無かったらしい。私のステージでは絶対ここは押さえたい。しかし私が話せる中国語は限られている。最初の挨拶とメンバー紹介のみ中国語、という事になった。あとのMCは、TORAさんが同時通訳してくれる。「本当は、本人が全部中国語で話すのが一番いいんだけどね。」・・。分かってますって!頑張ります、頑張ります。しかし、ちょっとしたメンバー紹介ですら、難しい、舌がまわらない・・・練習、練習・・。

 と、その時、事務所に一本の電話が入った。TORAさん宛てである。電話を切った後、TORAさんが言った。「・・・ライセンス、取れたよ・・!」「!!」そうなのだ。実は、エンタテインメントビザは、今日の今日まで下りていなかったのである。3月14日のARKデビューは、“ビザが間に合う”と見込んでの決定だった。

 しかし、中国政府文化局の“返事”は予想以上に遅かった。数日前から、“ステージに立っても大丈夫なのかしら・・”と思いつつ、とにかくリハを進めて来た。本番直前ギリギリ、劇的な“演出ビザ”取得である。「強制送還にならなくて済むんですね!」思わず出た私の言葉にみんな笑ったが・・内心ヒヤヒヤ・・。会場には、本日新しく制作された坂上の写真入ポスターが貼られた。さあ、本番。開演は21:30。SEが流れた。“上海在住、初の日本人歌手・・”に始まり、えらくスペシャルな紹介がTORAさんの中国語で流れる。・・・・初日のプログラムはずいぶん検討した。大丈夫だろう。

 内部からのアドバイスはこうだ。

・前半:カヴァー曲(ポピュラーな歌を。上海で新しい歌手に興味  を持ってもらうのには絶対必要。)

・中半:中国語の歌(日本語の歌詞と織り交ぜて。)

・後半:オリジナル曲(曲前には、オリジナル曲である事をアピール。)

 カヴァー曲は、日本で生まれた曲ばかりにしたい。1曲目は、TORAさんの「僕の絶対のリクエスト!」というお言葉もあってメニューに入れた「いい日旅立ち」となった。

 

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1.いい日旅立ち:short&aco.version(日本語詞)

 

2.愛を止めないで (日本語詞)

 オフコースの懐かしいメロディー。

 

3.Friend (日本語詞)

 安全地帯の10年以上前のヒット曲。現在、台湾の順子(シュンズ)という歌手がヒットさせ、毎日のようにラジオから流れている。

 

4.aibo (日本語詞)

 玉置浩二氏が台湾の歌手に提供し、ヒットした曲。

 

5.祈祷 (中国語詞)

 メロディーは日本の「竹田の子守唄」。中国語の歌詞で、長く本土で歌われている。ジュディ・オングさんがヒットさせ、中国語詞はジュディさんのお父様が書いている。

 

6.ぬくもりだけで

 

~メンバー紹介~

 

7.ワンニー、プルンニー

 ご存知、坂上のレギュラーナンバー。

 

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 ステージは、あっという間に終了した・・。お客様の反応も良かったようだ。逆に、どの曲があまり反応が無かったか、スタッフで吟味。明日以降へ繋げなければ!

 

 

15日(金)

 

 ライブ2日目。「祈祷」を歌い始めて、拍手が出た。この曲は、かなりよい反応が得られる。歌詞の発音をチェックしてくれるKOUちゃん、そしてこの歌の存在を教えてくれたジュディさんに感謝。何故か、首が筋肉痛である。

 

 

16日(土)

 

 ライブ3日目。新天地ARKの入場者、今年最多の739名を記録する。歌い始めてこのかた、3日間連続でライブをやったのは初めてではないか!と気づいた。まずは、ひと段落。

 

 

17日(日)

 

 KATSUMI帰国。

 

 

18日(月)

 

 なんとなく上海ダストにやられたようだ。喉がイガイガする。“蛇胆”というこちらで有名な漢方の水飴喉薬を飲む。よく効くらしいが一体成分は何なのか・・?蛇胆エキスが入っているのは間違いなさそうだ。でも美味。

 

 

20日(水)

 

 ELEN早朝に帰国。そのあと発熱。昼間の仕事は休ませてもらう。声が出ない。やばい。漢方の薬漬け。夜は本番がある。なんとかせねば。夜、本番。結構よたよたしたが、なんとか大丈夫。今日からメニュー一曲目に「愛のつづき」を入れる。しかし、本番を進めていくにしたがって本当に喉がヤバくなって来た。曲間でメンバーに声をかけ、後半の「ぬくもりだけで」を急遽カットしてもらう。こんなこと初めてだなぁ。情けない。

 

 

22日(金)

 

 上海の新聞紙「労働報(ラオトンパオ)」の取材。上海での初取材だ。NINさんが通訳してくれる。記者は、笑顔の素敵な私と同世代の女性だ。歌手としての私への質問はもちろんの事、単身で上海にやって来て居を構えている“外国人”に聞きたい事も多々あるようだった。今回上海に来てから作った曲があったら、そのタイトルが知りたい・・との質問。そう簡単に未発表曲の詳細は教えられない。「タイトルは、全ての作業の一番最後につけるので・・」と逃げた。仕事の無い日にやっている事など、事細かな質問。掃除、洗濯、散歩で終わる休日だと言って良いものかどうか。NINさんが「買い物とかするよね。」と促してくれる。「ええ、そうですね。」・・NINさんが記者に答える。なんか、いっぱいふくらませて(笑)伝えてるように思うが、そこはお任せ。今度は、どんな所に買い物に行くのか、よく行く店の名前を教えて欲しい、と来た。とりあえずARKの近くにあるデパートの名前を言う。伊勢丹とか、適当に知っている名前も言う。「伊織ちゃん、××とか△△とか行かないの?」とNINさんが再び促す。あまり聞いた事がない場所だ。どうやら高級なファッション専門店らしい。「そこにもよく行くっていう事にしとくね。」もう、何でもいいわ。次は、住んでるマンションの名前を教えて欲しい、という質問。日本ではありえないストレートな取材でこちらもやり易かったが、マンションの名前は勘弁してもらった。とっても郊外なのがバレてしまう(笑)。

 

 

27日(水)

 

 上海歌星倶楽部の事務所にNINさんと一緒に行く。演出(公演)許可証を受け取る為だ。歌星倶楽部と契約を交わして、許可証を取得しなければ、上海で歌うことは合法的に許されない。初ライブが終わってから受け取りに行くのも妙な話だが、許可証の内容文には、きちんと日付が打たれているので問題ないとのこと。打浦路の大きなビルにあるオフィスで、手続きはすぐに済んだ。

 ここ一週間ほど、ずっと、風邪の具合がよくない。ちょっと、耳が痛い。歌星倶楽部の帰りに、汾陽路にある復旦大学附属眼耳鼻喉科医院に連れて行ってもらった。中国の病院では、入る時に入場料(?)みたいなのを払い、その際に、ノート半頁くらいの小さめの紙に住所、名前、職業、年齢などを書かされ、手渡される。これがカルテとなる。医者が病名や症状、処方などを書き、各々、自宅に持って帰るようになっている。日本の様に、病院で保管、ということは無い。他の病院に行く時はこれを持って行けば以前の状態がすぐに分かるし、よく分からないドイツ語か何かではなく中国語で書かれているので、患者にも詳細が分かっていい・・・だけど、癌の時などはどうするのだろうか。思わず聞いたら、数字で表されるのだという。へえ・・。NINさんに連れられて、病室に入った。待合室のようなものは一切無い。部屋に入るといきなり診察だ。よく行く耳鼻科で見るような、“診察用の椅子”も無い。普通の椅子に医者と向かい合って座る。大体の症状を言って、それをNINさんが訳して伝えてくれる。医者の質問もいくつか来て、それに答える。「じゃあ、ちょっと診てみましょう。」という事で、右耳を見てもらう。少し見て、医者がNINさんに何か伝える。「伊織ちゃん、耳から少し出血してるって。」「??!」何故?驚く私だったが、医者は、畳み掛ける様にタッタと診察を終えた。診断は、感冒(風邪)による中耳炎、咽喉炎。特に治療は無く、帰りに山のような中薬(漢方薬)と西薬(漢方薬ではない、いわゆる普通の化学薬品)の処方箋を受け取った。診察料169元(1元=約15円)也。夜は、ライブ本番。どうにか事なきを得る。

 

 

29日(金)

 

 風邪は一進一退を繰り返す。昨日のライブもなんとか歌い切ったが、本番後から急に症状が悪化。今日は本当に“声帯が乾いてる”ような声色。まずい・・・。午後2時からA・A・Sのリハ。夜には本番を控えていたが、バンドのメンバーから、今日は休んだ方がいい、と心配される。それだけはしたくなかったが・・・、今日の無理が、どのように悪影響を及ぼすか本当に分からない・・。リハ終了後、TORAさんと相談して、本日のライブを断念。本番をキャンセルしたのは生まれて初めてだ・・・。しかも上海で・・。くやしい。風邪に負けてしまった。

 

 

30日(土)

 

 風邪との本格的な闘いが始まる。自宅の近所にある、上海長海医院という、人民軍の病院に行く。この病院があるからか、この辺りでは、軍服姿に度々出会う。やはり入場料のようなものを払って受付を済ませた後、内科へ・・。

 診察室に入ると、二人の医師がいて、それぞれに群がるようにして患者達が自分の順番を待っている・・というか「次は自分よ。」という無言の主張をしている。上海人に、あまり列を作る習慣が無いのは知っていたが、病院でもそうなのか。のんびりしてると、全然自分の番は回ってこない。先日行った復旦の病院よりサバイバルである。一人の先生が女医で、私はその医師に診てもらうことにした。何と、少しばかり日本語が出来る医師だった。復旦でのカルテを見せ、症状を言って、診察してもらう。医師が、聴診器を取り出した・・ええ?・・こんなに群がる人がいるのに・・と思ったが、聴診器はちゃんと(?)服の上から当てられた。その後、血液検査。パチンコの景品引換所のような部屋に入って、受付の小さい穴から腕だけを差し出す。結果が出るまでおよそ2分。どこに行ってもタッタカタッタカ事が進む。また内科に行って、先程の女医に診察してもらった後、点滴を受ける事になった。一度受付に戻って診察料を払い、処方箋のところで、自分の受ける点滴薬をもらう。何種類かの小瓶がわんさと“買い物袋”に入れられ、ワレモノとは思えない勢いで渡される。中国では、点滴がポピュラーらしい。点滴室はかなり広い。30人以上はゆったり入る大きな部屋だ。ベッドは無くて、患者は椅子に座って点滴してもらう。さっきの“買い物袋”を看護婦に渡すと、しばらくして3種類の点滴薬となって出て来た。手の甲に注射針をグッサリ刺され、約80分・・。うう・・早く治って欲しい・・。今回の診察料は、100元を超えなかった。安いかも。毎週土曜日夕方にある、演出制作会議も欠席。一通り、解決して欲しい問題を携帯でTORAさんに伝言して、自宅に引きこもる。

 

 

31日(日)

 

 点滴のおかげか大分具合はいいが、微熱があって、耳、眼、喉が痛む。再び、上海長海医院へ。そういえば今日は日曜日。病院は開いてるのか・・?と思ったが、この病院には休診日が無く、24時間体制で診察してもらえるらしい。ちなみに銀行、郵便局なども、土日は普通営業である。昨日、女医が、「今度、五官科でも診てもらったほうがいい。」と言っていたので早速五官科へ。五官とは、“眼・耳・鼻・舌・皮膚”の事。昨日と同じプロセスで診察してもらう。やはり風邪から来る炎症だとの事。今日は、点眼薬、点耳薬、点鼻薬をもらう。再び点滴。昨日よりは種類は少ない。しかし、昨日より注射針が痛い・・うう・・。

 

KATSUMIと共に、

ARK ALL STARSのポスターの前にて。

これが「演出許可証」。
記念に、伊織自ら“パチリ”。
残念ながら、中身は見せられません・・・・。

ライブ終了後(右から伊織、TORAさん、ARK店員のDINGさん、小船、大頭、老ト、PAのXINさん、

PAN小姐、小馬)