2002年1月 新局

 

 

6日(日)

 

 年末年始とも上海の資金繰りの為、虎ノ門のホテルオークラでアルバイトしていたので、今日からようやく引越しの荷造りを始める。ELENが朝から手伝いに来てくれた。お昼頃、私のパソコンを引き取りに来たジァン・ジァンの元上司、O氏も、「任せとけ。」と、近所の青果店から10個以上のダンボールを調達。このペアは強力!引越し荷造りはプロはだしだ。「坂上は、これが要るものか要らないものか、指示してくれるだけでいいから。」と、見る見るうちにテトリスのように隙間無く詰められた荷物が完成していく。私は本当に“見てるだけ”状態である。要らない本が多量にあることが分かると、近所の古本屋に駆けつけて、引取りの約束をELENが取り付けて来れば、西荻窪の古物商に電話をして、「出物が結構あるんですけど。」と家具の引き取り交渉をするO氏。今日1日で、大方の荷物処理のメドがつく。作業は夜遅くまでかかった。一段落つけて、近くの行き着けの台湾料理屋へ。ひとまず乾杯!そういえば、今日は私の誕生日だった・・。何歳だっけ・・(笑)?

 

 

7日(月)

 

 午前中、留学代行会社の仕事初め。こちらも引継ぎをしていかなければならない。お昼もそこそこに、午後、芝浦へ。JUDY ONGG BANDのリハ。

 

 

8日(火)

 

 ライブ。新宿ミノトール2での『中国の日』イベント出演。声が出ない~。薬漬けである(但し、漢方薬)。本番後、観に来てくれたJUDY ONGG BANDのEMORIさんとのお話で、友人のスタジオ経営者、NEGISHI氏に坂上のシンセを預かって頂くことに。楽器も税金が高くて上海に持って行けないのだ。他の荷物は、トランクルームを借りて収納するしかない・・。横で話を聞いていた高校時代からの親友CHIMOが、「伊織、トランクルームなんか借りんでもええやん。ウチに置いときいよ。」と、突然切り出した。「え?CHIMO・・・でも、そんなん・・・絶対邪魔よ。すごい量なんよ。」「大丈夫、大丈夫。ええから、ええから。」・・・・涙が出そうになった。人の荷物なんて、普通は部屋にあまり置きたくないだろう。お願いしていいものか迷ったが・・・、その言葉に甘えることにした。「CHIMO・・すまん、有難う。」「じゃあ、いつ荷物運ぶ?もう時間無いもんね。」・・急遽、翌日に運ぶことに決定。しかし、明日は朝から夜まで、引継ぎの仕事がある。「じゃあ、私が、行きますよ。」ELENが車を借りて、運んでくれることになった。

 

 

9日(水)

 

 ELENがCHIMO宅へ、ステレオ、CD、・・畳一畳分くらいは占領してしまうだろう多量の荷物を運び込んでくれた。

 

 

10日(木)

 

 JUDY ONGG 新高輪プリンスでの本番。朝の入り時間が早かった為、ステージまでの空き時間がだいぶあった。その間に、JUDY ONGG BANDのKey.、ANIKIと共に坂上宅へ。ANIKIが引き取ってくれるという冷蔵庫をANIKIの機材車に積み込む。再び、新高輪へ。

 

 

11日(金)

 

 13:00、スタジオへ。ぼちぼちライブの個人練習。14:30、通いの美容院、表参道CREAの西山さんのところへ。夜、ぼちぼちライブの為、ELENと共に19:35発のJASで大阪へ向かう。

 

 

12日(土)

 

 16:00~22:00神戸スタジオチキンジョージにてぼちぼちライブリハ。その後、大学時代にお世話になった摂津本山のパブ“甲南ハイボール”へ。

 

 

13日(日)

 

 

 ぼちぼちライブ本番。1月14日(月):久しぶりに母、姉と鍋をつついて語らう。内輪の話ばかりで盛り上がるが、ELENも芋焼酎でとことん付き合う。今月18日に上海へ出発することをちゃんと親に伝えていなかったことが判明(笑)。昨年、一度に亡くした祖母と叔母の話で号泣。よく泣いた。久しぶりに。明日は東京。戻ったら、あと2日で上海へ出発である。

 

 

15日(火)

 

 早朝帰京。朝、10:00留学代行会社へ。本日の勤務がラストである。中国留学が中心の会社だ。これからもお付き合いがあるね、と皆さんとお別れ。

 

 

16日(水)

 

 引越し荷まとめ最終日。明日17日の朝9:00には、ヤマトの国際引越し便が荷物を引き取りにやって来る。しかし私は、この半月のスケジュールをこなすのに精一杯で、何から手をつけていいのか分からず、パニック状態になっていた。再び、O氏とELENの強豪ペアが登場。ヤマトとの最終見積もりで、運べる荷物はダンボール12個と定められている。着々と荷物を作っていく強豪ペア。

 しかし、一人暮らしの割に持ち物が多いらしい私の所持品は、とても12個のダンボールには収まらない。途中で、EMORIさんが、私のシンセを引き取りに来てくれた。時間は、刻々と深夜に迫っていた。6日の時点で“要るもの、要らないもの”を分けたが、さらに“すぐに要るもの、そうでもないもの”に絞っていく。“すぐに要るもの”は、18日に持っていくトランクに詰める。“そうでもないもの”は、後日、再びCHIMOの家に預けることになる。「坂上は何もしなくていいから、とにかく“すぐに要るもの”を指定して!」・・・・またパニック!しばらく荷物を見つめたまま動けなかった。頭が回らない。泣きそうになって来る。時間がない・・・。強豪ペアが、「ちょっとあんた、仮眠とんなさい。」と言った。仮眠40分。気を取り直して・・といっても貝のように口を閉ざしながら荷物を選ぶ。

 

 

17日(木)

 

 夜が明けた。なんとか12個のダンボールが完成。CHIMO宅行き、トランクで上海行き、それぞれの荷物が分類された。強豪ペアは、“完徹”である。朝8:30。ELENは、そのまま撮影の仕事に向かった。9:00。O氏と私は、ヤマトに荷物を託した後、ふらふらになって朝食を取りに外へ。その後、O氏帰宅。ELENは昼過ぎ、仕事が終わるや否や、再度坂上宅へ。今度は、CHIMO宅行きの荷物まとめである。

 こんな日に、私は一つ仕事の打ち合わせが入っていた。上海に行く前になんとか・・という先方のお言葉で、この時間を作ったが、私が出かけている間、「やっとくから!」と言うELENに任せて外出。私が不在の間にANIKIも来てくれた。いきなり軍手をはめ、それはそれは男っぽい仕事っぷりだったらしい(注:ANIKIはとても綺麗な女性です)。私が外で打ち合わせをしている間に、日が暮れてきた。夜は、JUDY ONGG BANDが壮行会を開いてくれることになっている。打ち合わせが終わって戻ったら、CHIMO宅行きとトランク行きの荷物は、ほぼ、ELENとANIKIが完成させてくれていた。ただ、まだゴミの整理が残っている。「JUDY ONGG BANDの壮行会にはちゃんと行っといで。」というELENの言葉で、会場の新宿へ。ゴミを片付けたらELENも追っかけてくるとのこと。ELEN到着後の報告、不燃ゴミ24袋!明日は、上海。こんな風に、友人に助けてもらいっぱなしでの出発である。

 

 

18日(金)

 

 上海へ出発。ELENも一緒だ。今月下旬、彼女の大好きな宇崎竜童氏がARKでセッションする、というのでそれを餌にしてついて来てもらった(笑)。引越し便に入りきらなかったものを思い切りトランクにつめたら、超過料金¥13,000取られてしまった。成田からNW11便にて出発。いよいよだなぁ、と思いつつ、不思議と落ち着いていた。根拠は無いけれど、上海という街と、これから私を迎えてくれるARKのスタッフ、そして上海で歌うと決めた自分を心から信じていた。とても穏やかな気持ちで約3時間の飛行時間を過ごした。夜20:35上海浦東国際空港着。大家さんに電話して、新居に到着したのは22:30頃になった。大家さんと、契約の取り交わしと、電気、ガス、水道、電話、バスルームなど諸々の使用方法や、1F入り口、自宅鉄門、木製ドア、と3つもある玄関の鍵のかけ方を教わる。う~ん、やはり日本とは全然勝手が違う。かなりレトロな部分も有り。そうこうしているうちに夜も深まってきた。明日も早い。上海に入ってから24時間以内に公安局に“臨時住宿登記表”・・いわゆる“仮の居留証”の申請に行かなければならないのだ。この日は、雪の降らない上海ながら、身も凍るほど寒い日だった。

 

 

19日(土)

 

 大家さんに同行してもらい、公安局に“臨時住宿登記表”の申請に行く。想像はしていたが、やはり愛想なしの対応である。上海話もチンプンカンプンだし、何だかわからないうちに言われた通り、サインをする。外国人が中国のステージに立つ為には、“エンタテインメントビザ”というものを必ず取得しなければならない。その許可が下りたら、ようやく本居留証の申請が出来るのだが、その際にこの“臨時住宿登記表”が無いと、手続きに支障をきたすらしい。さらに、本居留証がなければ、後日、船で運ばれて来る私の引越し便も受け取ることが出来ない。まさしく“滞在許可”の第一歩である。夜、ARKに顔を出す。K氏とMARIさんに挨拶をした後、ARKの最高責任者であるTORAさん、経営総管理のNINさん、ARK店長のWANさん、といった、現地の幹部陣を紹介して頂いた。肩書きとは違って、みんなとてもニコニコしたフレンドリーな第一印象。しかも3人とも日本語が同時通訳級にうまい。私が何時間もかけて書き、ARKに送った手紙は、一番最初にTORAさんが受け取って下さったそうだ。感謝!今後のビザ手続き、マネージメント業務は、全てTORAさんが仕切ってくれることとなる。

 

 

20日(日)

 

 新居からバスで2つ行った所の巨大なスーパーに、ELENと二人で買い物に行ってみた。引越しの荷物が届くまでには早くても一ヶ月はかかる。さしあたり、無いと不便な日常品を買い込む。大量の買い物袋をかかえ、必殺の満員バスに乗り、二人で死にそうになる。

 

 

21日(月)

 

 ARKの事務所に午前中に初出勤。MARIさんから、事務所で行うことの簡単な引継ぎをしてもらい、お昼、MARIさん、NINさん、ELEN、私とで、近くのデジタル機器専門デパートに、私の携帯を買いに行く。上海で動くとなると、東京と同じく、やはり携帯は不可欠なのである。何軒もある携帯ショップを見て回り、一番お手軽価格の店に目をつける。そこからは、NINさんの出番だ。すごいスピードの上海語(現地の人からしたら普通の会話なのか)で、値段を叩き出した。交渉すること約10分。本体の定価980元(1元=約15円)、そして日本と違って携帯の番号を100元(自分の好きな番号が欲しければ、それ以上)払わなければならないが、合計で1000元ちょっとになった。NINさん、感謝!

 

 

23日(水)

 

 これもビザ取得する外国人が必ず受けなければならない健康診断を受けに行く。多忙なTORAさんがわざわざ自宅まで迎えに来て下さった。虹橋国際空港の近くにある上海国際旅行衛生保健中心なるところに行く。やはり外国人が目立つ。着替えを渡されて、まず身長と体重を測る。身長計のようなものに乗ったら一度に身長も体重も測れるデジタル方式。これ、今普通なの?ともかくびっくりした。身長が1cm減ってる。ええ?まだそんな年じゃないぞ!体重も少し減ってた。こちらは納得、という身勝手さ。そして、X線、心電図、血圧、採血で終了。結果は後日。

 

 

24日(木)

 

 TORAさんから「オリジナル曲の歌詞を6曲と、歌ってる姿が映っているビデオ、ある?」と言われる。中国政府文化局への提出物との事。ビデオは、『汗・ワンニー、プルンニー』のビデオクリップを持って来ていたので、それを渡す。歌詞は、私の日本語のものと、それをTORAさんが中国語訳してくれたものとを提出。

 

 

25日(金)

 

 長らくたくさんの事を手伝ってくれたELENじっじが早朝に帰国。皮肉にも、竜童氏のセッションは、この日の夜だった。今度、ビデオで見せたげるから!

 

 

29日(火)

 

 TORAさんから「オリジナルの歌詞、あと5曲、提出しないといけない!」と言われる。急いで用意。

 

 

上海駅。巨大な中国の中心となる駅である。初めてここに来た時に感じたエネルギーは忘れられない。

大家さんと公安局へ。やり取りに真剣!だが・・近所の子が普通に遊びに来てる。こら、ここ公安局やで!

新天地ARKの事務所。文化局に提出する書類をコピーしてるところです。