2002年5月 初夏 

 

 

1日(水)

 

 今日から新しいメンバーのA・A・Sでライブ開始。本日、私の演出(ライブ)は無いが、全ステージをチェック。演奏の感じは、とてもいいようである。きっと上海で引っ張りだこのメンバーだろう。ただ、日本で同じくらいのレベルのバンドと違うのは、緊張感の足りなさか。

 

 

2日(木)

 

 新メンバーで坂上初演出。またゴールデンウィークの長丁場演出が始まる。本番、リハの時よりテンポがゆっくりに感じられるので、もうちょっとあげてもらうよう、伝える。それ以外は、問題ない。

 新メンバー、リーダーはドラム:A-min、ベース:SHAO MIN、ギター:XIAO FU、キーボード:DONG YIN、コーラス:PAN

 

 

6日(月)

 

 本日のライブMCで、初めて“日本語抜き”をやってみた。日本語でのMCも下手なのにとても緊張するが、いつまでも外国人気分でいてはいけない。人々に聞いて中国文のMCを考え、必死に覚える。時々間違える。しかし、日本語の時より丁寧に伝えるからか、お客さんも注意深く耳を傾けてくれるようだ。

 

 

7日(火)

 

 中国のゴールデンウィーク本日で終了。

 

 

9日(木)

 

 私のビデオ映画「ワンニー、プルンニー」で多大にお世話になったみんみんから連絡があり、来週上海に仕事で来るとの事。バンコクに住む彼女には、当時、言葉の事、撮影のロケーションから寝泊り、食事まで面倒見てもらった。再会が叶ったら、実に3年ぶりである。楽しみ。

 

 

13日(月)

 

 みんみん来上。夜、彼女の宿泊先にて再会が叶う。以前のショートヘアとは違って、すっかり髪の長い女性となっていたが、スーパーレディーぶりは変わらず。短い時間だったが、知的で優しい彼女との話はとても充実したものだった。残念ながらライブを見てもらう時間は無かったが、私の活動についてもとても興味を持ってくれ、今、こうして上海という場所で活動していることを本当に喜んで、励ましてくれた。

 また、夏に来れるかもしれないとのこと。その時には是非ライブも!と約束して別れた。

 

 

15日(水)

 

 このところ、GWのあおりか客人がやや少なめ・・。ただ、いたずらにわらわらとしたお客さまが多いよりは、確実に聞き手の反応がよく伝わる。ホールスタッフにとってはお客が少ないのは困る事だろうが、ステージ側からは、正直、これは嬉しい・・!と思った。

 

 

16日(木)

 

 朝日新聞上海支局長とお会いする。大学時代に同じゼミで、現在、同社の写真部にて活躍している友人A氏に紹介してもらい、実現したものである。衛星版に掲載されるという記事の取材を兼ねて、ランチをご一緒させて頂いた。合間に数々の中国に関する話を話して下さったが、中国を知るなら、もっと奥の方へ行かなければ本当の姿は分からない・・と言われ、上海・蘇州・杭州・香港など、観光で賑わった所へしか訪れた事の無い私は、納得。上海は、夢もあるが、同時に虚飾も多い、やはり“魔都”なのである。“魔”を良しとするか悪しとするか・・・?

 

 

18日(土)

 

 化粧水を詰め替えるため、スポイトを求めて、百貨店、“ワトソン”、化粧品店、雑貨屋など、あちこちで探すが見つからず。まさか、と思ったが薬局へ。尋ねてみて薬剤師が出して来たのは、なんと注射器!こんなの、日本の薬局でも普通に買えるんだっけ・・?とりあえず、役目は果たすからいいか・・と思って一つ買おうとしたら、「安いから二つ買いなさい。」だって。二つでも1元(約15円)ちょっと。ふうん、確かに・・とまんまと二つ買わされる。しかし、こんなの持ってるところを親に見られたら何と思うかしら。

 

 

22日(水)

 

 打浦路の歌星倶楽部事務所にて、上海における外国人演出(ライブ)人だけの会議があるというので、1時半に出かける。

 案内されて入った部屋には“渉外演出工作管理会議”というタレ幕。工作とは仕事の意味。集まった工作人は、30人ほど。殆どが東南アジアの人と思われる顔立ちで、あとは欧米系が数人。中国人と同じような顔をした黄色人種は私一人である。「ARKの日本人・・?」と言ってる声も聞こえた。そりゃすぐ分かっちゃうだろうな。浮いてるから。私以外の工作人は、みな同郷の人をみつけておしゃべりしている・・。

 会議は、1時間程待たされた後、公安の人が前に座り、中国語→英語の通訳もついて始まった。

 始めは、公安官が中国語で話した内容を通訳が訳す、という普通のスタイルで進んだが、5分位して、急に公安官が一人でペラペラ流暢な英語で話し始めた。通訳の女性はうなづいているだけ・・・。「パスポートの携帯に気をつけてください。」というような話があって、“会議”は10分ほどで終わった。段取り悪~とも思ったが、通り越して笑えてしまった。こんなのFAX1枚で済むんじゃない・・・?

 夜、“上海ウォーカー”に広告が載っていたのを見つけ、上海にて初めてフラメンコを観に出かける。雨の中、タクシーでたどり着いたその場所は、普段はラテンミュージックのバンドが入っているレストランらしい。もともと、こちらでスパニッシュのライブがあるのは稀だとの事。

 出演者は、女性のバイレ(踊り手)二人、ギターラ二人、カンテ(歌)とパルマ(手拍子)はそれぞれバイレとギターラが兼ねる、というちょっともの寂しい形で、出来そのものも“イマイチ”であったが、東京では度々パティオに通っていたので、喜びもひとしお。地元からわざわざ呼んだのであろう、チャージはえらく高かった。一人200元。

 

 

23日(木)

 

 今日のライブから、坂上オリジナルを増やしていく。これまでも必ずナンバーに入れていた「ワンニー、プルンニー(今天、明天)」に加え、久々に「ぬくもりだけで(只温暖)」、そして、上海で初めて「月あかりの神話(月光的神話)」を歌った。「ぬくもりだけで」は、メロディーがキャッチーだからか、こちらでも反応がいい。サビに入ると、お客様の顔が少し変わるのが分かる。

 

 

27日(月)

 

 福州路の外文書店に初めて行く。中国の近代史に関してもうちょっと勉強しなければ、と思い立って歴史書を買いにいったが、該当する日本書は見つからず。ふと見ると、美輪明宏氏のすんごいデザインの本が目に入った。一度は通り過ぎたが(笑)、あとでまた気になって戻り、こわごわ開いてみた。この人の著書はいつも面白い。今回のものも、舞台の話などが載っていてタメになりそうである。読んでみるか・・、と購入。こちらで買ったら安かったりするのかな、とも思ったが、ちゃんと、日本の定価×15元取られた。

 

 

28日(火)

 

 バスに乗っていて、中興路のちょっと田舎を思わせるような思わぬ所に、たこ焼き屋を発見。ついで雑貨屋にキムタクのでっかいパネルを発見。思い立って途中下車。まず雑貨屋へ。

 私の荷物を、トランクルーム並みの規模で預かってくれている親友のCHIMOは大のキムタクファン。帰国する時お土産として渡すのに、度々、買い集めている。日本では大スターの彼も、こちらでグッズを手に入れようとするとなかなか苦労するのだ。見つけた時に買わないと・・。雑貨屋に入って早速購入。パネルと思われたものはパズルだった。

 キムタクを手に下げて、足早にたこ焼き屋を探す。おお・・あった。『たこ焼き』と書いた赤いのれん・・。“私、関西人やし、うるさいで。”という心づもりで入ったが、店内には『築地』と書いてあり、ずっこけた。

 ともあれ、一つ注文してみる。関西人だったら怒るだろうな・・と思うくらい時間かけて出来上がってきた“たこ焼き”は、ま~んまるで可愛い。ひとつ口に入れると・・、あ、意外においしい。でも“たこ”が入ってない。よく探したら、ほとんどみじん切りなのがあった。ここは大阪じゃない、上海だもの、まずまず満足。

 

 

29日(水)

 

 『ぴあマップ』のスタッフの方々が、来上。中学時代の同級生で、人気タレントの撮影をしているカメラマンの友人、K氏から事前に連絡があり、「今度、『ぴあマップ』の上海版が出来るから、その下見に友達が行くねん。ARKも是非、ってゆうといたで。」とのこと。

 お会いした編集長という方は、私と同じ年の女性。世の中の同年代は、こんなに活躍しているのか・・。上海のスポットをたくさん下見して歩いていらっしゃるのだから、あまりお時間長くはお会い出来なかったが、新天地を特集して下さる予定だと聞いて歓喜。6月に、本格的な取材で、再び上海にいらっしゃるとのこと。

 

 

31日(金)

 

 『日経WOMAN』の取材。日本で発売になる雑誌の取材は初めてで嬉しい。“上海で働く女性”というテーマだそうだが、雑誌の性質上、お給料とか聞かれるのかと思ったら、もっとメンタルな部分を中心にインタビューは進んだ。なにせもともと“働き”に上海に来たわけではないので助かる。取材スタッフの方々は全て女性。いろいろ話題を変えながら、あっという間に2時間弱経った。7月発売との事。親にも言わねば(笑)。

 

ARKのPAブースからステージをチェック。演出監督の図。