2001年 秋天  

 

 

2000年7月から8月へかけての上海大学短期留学をきっかけに、

私の中国熱は不動のものとなった。

キツい事はもちろんたくさんあった。

初めて宿舎で水道をひねった時、その臭いに

これから毎日この水で生活するのか・・、と愕然とした。

どこかのエアコンからおちる水滴が、

昼夜、鉄板のような場所に落ちる音が聞こえる。

ターン、ターン、・・ターン

響く、響く・・気にするな、と思えば思う程、脳に響く・・。

毎日毎日・・気が狂いそうになる。

しかし、この街の魔力はどこに潜んでいるのだろう。

ここに住む人達の力、言葉の美しさの力、歴史の力。

実態は計り知れない。

いつしかすっかり、何もかもが魅力と化していくのだった。

日記をつけても今まで絶対続かなかった私が、

この留学期間だけは、毎日、その日の出来事と使ったお金を記録した。

また、その日記帳には、東京⇔上海の往復航空券に始まり、

現地で乗ったバスの切符、観光した先の入場券、領収証、学食の食券・・

ありとあらゆるものを貼り付け、留学生活が詳しく分かるように

してあるので、今でも私の大切な『上海バイブル』として活躍している。

留学の最後の週に、豫園で金のブレスレットを買い、

その場で店員さんに、外れない様につけてもらった。

「近い未来に、また上海に来られますように・・。」

そう思いを込めて、選んだものだった。

今度来る時は、遊びや勉強ではなく

自分自身の開拓の為にこの地を踏むんだ・・。

ブレスはもちろん、今も私の利き手で光りを放っている。

帰国してから、中国、特に上海人の友人が何人か出来た。

「上海で、歌える所、どこかないかなぁ?」

著名な歌手は、大陸に渡って大きなコンサートが開けるけど

私のようにライブハウス級のアーティストが歌える所・・。

その友人達に私は聞きまわった。

「大学の学祭がいいんじゃない?」「ライブ聴かせる店が何軒かあるよ。」

みんな、親切に教えてくれた。

“学祭・・いいかも知れない。”

そんなことを考えながら仕事に追われ、

帰国から1年あまりが過ぎようとしていたある日・・。

毎週届く日中交流のメールマガジンで、ある一文が目に留まった。

「この間、上海に行ったら新天地というスポットが出来ていた。いろんなレストランやライブハウスもある

ちょっとしたエリアだったよ。」

・ ・ 新天地?・・ライブハウス?

昨年まではおそらく無かった上海事情。

この短期間にそのような場所を創ってしまうのか、この国は・・。

とにかく調べよう。

キーワードは、上海、新天地、ライブハウス。

これだけあれば、ネットで検索出来るだろう。

しかし、意外と時間がかかった。

どうやら、独自のサイトは持っていないらしい。

新天地、という言葉ではすぐに何件かサーチされるが、

ライブや音楽に関する見出しが無い。

それに、ライブ、と言っても、

いわゆるハコバンしか出られない場所がほとんどである。

一件一件、丁寧にチェックしていった。

その中で・・『ARK』という文字が初めて出て来た。

?・・これか・・?これでありますように。

開いてみると・・。

ここで観たライブレポートを掲載した、一般の人のページだった。

やった!“get”という単語がサッと走った。

しかも親切に住所と電話番号が書いてある。

即効、慣れない中国語フォントを使って、手紙作成を開始。

“ワタシハ、ニホンデウタッテイルモノデス。ゼヒ、ソチラデウタワセテイタダキタイノデスガ、ドノヨウニテツヅキシタラヨイカオシエテクダサイ。”という内容だったと思う。このたった数行の中国語を書くのに、単語を調べ、ピンインを調べ、丁寧語を調べ、何冊もの参考書を開いたりで

3時間はかかったと記憶している・・。

中国語の堪能な人に代筆してもらえばすむ話なのに・・・

この手紙だけは自分ひとりで仕上げたかった。

時勢は同時多発テロがあったばかり。

エアメイルが届くのにはかなりの時間がかかるだろう・・。

気長に待つ気持ちと、何らかの反応を早く求める気持ちで、

何日か過ごしたある日・・。

その返事は意外にも早かった。手紙を投函して7日目。

そして電話の向こうは、これまた意外にも日本語だった。

電話の主は、ARKトップ陣の一人、O氏だった。

「今、上海にいるので、数日後東京で会いましょう。」

!!!!!

私のその時の気持ちはちょっと表せない・・。

電話でもとてもドモッていたと思う。

・・そしてO氏とお会いする日がやって来た。

きびきびしているがとても辺りの柔らかい紳士、という印象で、

私は初対面ですっかり安心してしまった。

「よく知ってましたねぇ、“ARK”のこと。業界の人くらいだよ、うちの名前知ってるの。」え、そうなんだろうか。

とにかく持って来た音資料と、プロフィールなどを渡した。

上海で歌う時には、どのような手続きが必要か、またどんなものが望まれるか、様々なアドバイスを下さった。

O氏は、一瞬考えて、「そうだ、来週、時間作れますか?」

つくるつくる!「はい、大丈夫です。」

「じゃあ、そこの関係者の人がちょうど東京に来るので、紹介しましょう。

その時に、自分がどんな風にARKでやりたいか、言う事をまとめといた方がいいかも知れないです。」O氏は仰った。う~ん、その気持ちを言葉にしたり文字にしたりするのは、とても大切な事ながら、私はとても苦手だった。

でも、そんなことは言ってられない。

後日、O氏から再度連絡を頂き、

待ち合わせの溜池へと出かけていった。

紹介されたのは、ARKの社長K氏。

「ライブハウス」という言葉を創った“ライブハウスの父”と呼ばれている人である。

手がけたライブハウスの名前を聞くと、東、西と、有名スポットばかり。

やはり柔らかい雰囲気を持った、しかしながら周りの気温が高く感じられる、

関西人紳士であった。

関西、ということもあって、ひとしきり西のライブハウスの話に花が咲いた後、

「ところでなんで上海なの?」

という質問が来た。いよいよだ。いい加減な気持ちで手紙を送ったとは

思われたくない。

自分なりに考えてきた音楽のアピールをぶつけてみた。

そして、ダメモト!と思いつつ、

「ちゃんと上海に腰を落ち着けて、活動する気持ちもあります。」と添えた。

この言葉には、「ええ?ほんまに~?」というK氏の表情が感じ取られた・・。

しかしながら、判断力の早いO氏とK氏は、

「その気持ちが本当にあるなら、

まず上海で生活がきちんと出来る様に、現地での仕事、見つけた方がいいね。

歌だけでは、初めはもちろん無理やから。」そうアドバイスして下さった。

でも中国語がほとんど出来ない私に何の仕事があるだろう・・・。

いや、考えるより、探そう。上海で歌える第一歩になるならば・・・。

12月初旬に、K氏がARKに出向くとのことで、O氏が

「今の上海を見ておいた方がいいでしょう。

よかったらその時、一緒に上海に行ってみなさい。」と助言して下った。

やはり、短い間に上海は相当な変貌を遂げているらしい・・。

その日から、12月の上海行きの準備を始めると共に、

ネットで上海での就職活動を始めた。

 

 

昨年、探しに探した「上海新天地ARK」

上海新天地はライトアップも粋な風情のある一角。