2002年4月 春雷
1日(月)
今日は大丈夫、と思ったのに、朝起きてみたら右目の腫れがひどい。眼帯が欲しいくらいだ。耳・鼻・喉は大分調子が戻ったのだが・・どうしよう・・。かなり長い時間悩んだが、一人で考えていても仕方が無い。「完治するまで、仕事しちゃダメ。」と言われていたのを思い出してTORAさんに電話する。結果、明日、リハ
があるが・・・それもまだ出ちゃダメ・・とのこと。憂鬱。
2日(火)
雨のせいか、再び発熱。やばいわ。平熱が35.5度と通常より低いので、ちょっとの熱にも弱い。ここのところ36.5度の微熱が続いていて、今日の様に「重いなぁ・・。」と感じる日は大体37度を越えている。声の調子もちょっと昨日より悪い。夕方、TORAさんから電話があって、今週末の演出(ライブ)も休むよう促される。完治するのには長くかかる病気だとの事。中国では、本来なら会社の誰かが自宅まで来てくれて、必要そうなものを届けてくれたりするらしいのだが、ただでさえ今週のARKは忙しい。日本から来るバンドが2つあって、その準備が多々ある。「なかなか誰も行けない。」と言われたが、もちろん構わないことである。
4日(木)
ちょっと喉が痛い。全くどういうことかしら。“五官”は本当に繋がってるんだわ・・と実感。日々、五官の中で、調子の悪いところが巡り巡って変わる。午後、食事をするのに少し外へ出て、近所の古本屋に入った。そこで思わず笑ってしまうものに出会った。大分前に日本でやっていた「沙粧妙子最後の事件」というドラマのVCDを発見。ジャケットを見てびっくり。浅野ゆう子がピストルを握ってポーズをとっている。明らかに合成写真。このドラマ、主役は浅野温子ではなかったか。
5日(金)
夕方、居留証取得の連絡をTORAさんから受ける。上海に来てから2ヵ月半、本当に長くかかった。ヤマト引越センター国際便に預けてある私の荷物、やっとやっと引き取る事が出来る。夜、自宅の近所に食事に出た。これまでゆっくり見て回る暇も無かったが、この休養期間で、うちの近所には2軒ほど狗肉(犬肉)を食べさせるところがあると知った。蛇はすでに2度体験したが、狗肉はまだ食していない。でも、狗は冬がいいとの話を誰かから聞いたので、とりあえず保留。とある食堂に入って、いささかぎょっとした。もう蚊が出てる。食べてる間にやられた・・雨が降ってきた。上海で初めて出会う雷雨だ。ここ数日、上海には、吹き飛ばされた物に当たって重傷を負う人が出るほどの大風が吹いている。それに重ねて雨。それでなくても、日中汗が出るほど暑くて、夜は厚手の上着が必要なくらい寒い・・といった不安定な気候である。病人にはキツイ。気がついてみたら、今日でもう8日、アルコールを抜いている。こういうことも何年ぶりだか。
7日(日)
ようやく外用薬無しでも平気か、と思われるようになった。しかし、まだ耳のこもりがやや残ってる。各箇所の痛みは全然無し。
10日(水)
明日からやっと出勤出来そうである。12日間も、休息してしまった。今週は、金曜日のみライブを行うとのこと。ちょっと痩せたようだし、顔も髪もぼろぼろなので、少しでも綺麗にしていきたい。思い立って、上海で初めて美容室へ!普段ならいろいろ冒険しながら体験するところだが、今回は気持ちの余裕と時間が無い。無難なところで花園飯店(ホテルオークラ)にあるヘアーサロンへ。ここなら日本語が通じるだろう・・と思ったが甘かった。相手は英語もやばい状態だ!十分冒険できた・・。カラーリング450元、カット150元で合計600元。東京と同じくらいじゃない?ちょっと高い。
11日(木)
13日ぶりの出勤。ああ、やっと下界に下りた感じだ(笑)。ひとまず、ARKのスタッフにお詫びとご挨拶。ラッキーな事に、本日は、A・A・Sのリハもあるという。明日、久々の本番を控えているので飛び入り(?)参加。TORAさんの手元にあったパスポートと演出ビザをようやく手にした。前例が無いのでARKのスタッフも知らなかったのだが、なんと半年の有効期限中、国外には出られないとの事。どうしても出国する時は、前もって申請が必要だと言う。それも許されるのはただの一回きり。簡単には帰国も出来ない、というわけだから、親や兄弟に何かあった時の為に、この1回のチャンスはおいておかなければ・・。まだまだ不可解、中国政府。
12日(金)
15日ぶりのライブ!しかし、やはり不調は隠せない。ライブとは本当に体力使うものだ。それを承知してたので十分に準備していたはずが、やはり病み上がりがたたっているのか・・。声も少しきつい状態。いもづる式に、メンタルな部分も集中できなかった。私のARKライブ、ワースト1かも知れない・・・・・。本気で反省。夜、2週間ぶりにお酒を少々。ビール2㎝がやっと。肝臓はさぞかし綺麗になっただろう・・・。
16日(火)
復旦大学のバンドオーディションなるものを見学に行く。大学祭のための選抜とのこと。北京大学と共に中国2大名門大学と言われるだけあって、かなり大掛かりなものだ。審査員にはラジオ、テレビなどのメディア人がずらり。しかしながら、ステージには、目を見張るような骨董品レベルのアンプたちが並んでいる。こんなMarshall、見たこと無いなぁ・・機材マニアなら絶対欲しがるだろうな・・などと考えていると、開場時間になった。学生仲間と見られる観客が、わんさと押しかけて席を取り合っている。盛り上がってる!バンドたちの演奏そのものは、うう・・・とうなるものがあったが、会場の興奮度は絶好調だ。全部で16バンド、かなり長いオ-ディション、とてもいい雰囲気の中、終演時間を迎えた。
よくよく考えてみると、自分の大学生時代もこんな感じだった。下手だろうが何だろうが、ステージに立てばそれだけで客席共々高揚出来た。そして、その後にたくさんのハードルがある事をまだ知らずにいた時代。何だか忘れていた感覚だ。今日は、少々若返った気分。
18日(木)
ライブ、本日から通常の週末3日スケジュール復活。しかし、のどのイガイガくんがまだいる。途中で何度かやばそうになりながら、クリアする。本当に長い風邪だ。
22日(月)
最近、誰かと意見が合わない事があっても「中国人は」「日本人は」と考えないようになってきた。確かに国によっての性格の違いってあるが、誰しも一人の人間だ。お互いを信じる事、これがいいものを生み出すためにもっとも必要な事なのは同じだ。そして、常に相手を愛する事。日本にいるときより、こういうことの大切さが更に分かる。
24日(水)
夕方、突然、私と同じA・A・Sの阿耀(あよう)という男性ヴォーカルが急死したとの知らせ。先週から脳の出血で入院したのは知っていたので案じていたのだが、何という事だ・・・。私と同じ年齢である。台湾出身で、はつらつとした歌い手だった。これからやりたい事、たくさんあっただろう・・。ARKの前に貼られているA・A・Sのポスターには、元気な彼の顔がまだ残っている。
25日(木)
ライブ、本日は、ようやく調子が元に戻った感じ。のど薬漬けにしなくても大丈夫になった。
26日(金)
A・A・Sのバンドメンバー、一部のプレイヤーがどうしても足を引っ張り、問題ではあったのだが、とうとう楽器陣総入れ替えということになってしまった。私にとって初の上海ライブを支えてくれたメンバーだっただけに、残念・・・・。本日、午後より早速新メンバーによるリハーサルが行われた。日頃から一緒に合わせているメンバーだとのことで、演奏が固まるのは早い。こちらも、気持ちを新たにして頑張らなければ。
27日(土)
これまでのA・A・S、最後のステージ。みんな、普段どおりにステージにたった。私も気の利いた中国語など知らないのでライブが終わったあとも「再見!」の一言でさよなら。ELENに頼み、急いで焼き増して送ってもらった3月14日初ライブの写真を、メンバー全員に手渡した。どれもとてもいい写真だ。みんな、本当に喜んでくれた。今度はいつ会えるだろうか。
30日(火)
1月17日にO氏とELENが綺麗につめてくれて、東京から出発した私の引越し荷物、本日3時、やっと上海自宅に届く。なんと3ヶ月半・・・居留証が下りてからも20日以上かかっている。当初は、春節をはさんでも2ヶ月かからない、と言われていたのにやれやれ・・と思いながら、運びこまれる荷物を見ていたら、日本語流暢なヤマト国際便の担当者が「無事到着してよかったです・・。」と始めた。通常、居留証を取得出来る就労(Z)ビザの有効期限は1年である。だが、私の演出ビザの有効期限は半年。半年しかないワーキングビザは前例が無い、許すわけにはいかん、とのことで危うく私の荷物は日本に送り返されるところだったらしい(!!)。ヤマト便が「そこをなんとか!うちの客です。」とくい止めてくれて、ようやく本日に至った、というのである。何も知らなかった私は、心から御礼を言った。荷物が届いたのは本当によかったが、それにしても「そこをなんとか」が通じるのか。厳しいのか柔らかいのか、まだまだ不可解中国政府。
ARK ALL STARS!!
ARKの客席は、連日満杯!
ライブの直前、楽屋にて。
いろいろチェック中。