2002年6月 転機 

 

 

6日(木)

 

 上海で最好といわれるレコーディングスタジオを見学する。A・A・Sのコーラス、PANに連れて行ってもらった。小ぶりな広さだが、機材は良い物が揃っていて、そこのボスが一つ一つ説明してくれた。その日は、トラックダウンを行っていたようだが、モノは京劇。さすが中国。このスタジオでレコーディングされ、完成したCDなども飾られている。ここで録音すると、1日8h2000元也。クオリティから考えると安い。ふむふむ。

 

 

7日(金)

 

 朝日新聞衛星版が送られてくる。5月30日発行分に、私の記事が掲載された模様。天下の朝日に写真入りで載ったのは、ジァン・ジァン閉館の時以来か(笑)。なぜか、上海での私の記事にはいつも、よくお酒を飲む・・といった類の文面がある。今回は“老酒を一瓶軽くあける”と書かれた。本当は、4月に風邪で耳をやられて以来、ほとんど飲んでないのに~。

 

 

8日(土)

 

 最近体調がまた思わしくないので、日頃贅沢だと思っていたアイさんをお願いする事にした。アイさんとはホームヘルパーのこと。日本のように、“家政婦雇うなんて金持ち!”という感覚ではなく、十分私にも払える時給で来てもらえる。今日は、主に掃除を頼んだ。2時間/週2日の契約。やっぱり楽ちんだ!

 夕方、台湾を中心に、アジア全域で音楽プロデュースをなさっているN氏が来上。上海でのテレビ祭に招かれていらっしゃったとの事。氏は、上海に来る前に東京で行った坂上のライブにもおいで下さった。少ないお時間の中、ARKライブにも足を運んで下さり、励ましの言葉を下った。感激!

 

 

12日(水)

 

 住民票やなんかの役所事務の為、急遽帰国。もはや住んでいない東京の住所に、籍をおいたまま国外転出届もしないでほっといたら、「抹消されちゃいますよ。」と言われてしまった。早く移さなければ。事が事なので、出国許可もすんなりいけた。予定は1週間。とりあえず大阪の実家へ戻り、処理する。東京からの書類は、恵蓮が調べてあらかじめ送ってくれていた。

 昨年亡くなった伯母のお墓が出来たと聞いていたので、西宮にも出かけたい。恵美氏にも会って、“ぼちぼちライブ”の話もしたい。半年振りの日本。あらゆる食事の“溜め食い”もせねば(笑)。

 

 

19日(水)

 

 上海へ戻る。明日からまた演出。早く寝なければ。

 

 

20日(木)

 

 ライブ前、いつものように楽屋に入ってメンバーに「ニーハオ、ニーハオ」と挨拶すると、G.のXIAO FUが「今日来なかったね。」と言った。「え?何?」「リハーサルだったんだよ。」え・・?私は来週だと思っていた。「今週だよ。」リーダーで、Dr.のA-MINが答えた。やってしまった。

 中国語のやり取りは、特にこのようなスケジュール連絡など、聞き間違えの無いように何度も確認していたはずだった。何をどう間違えたのか。演出が終わって帰る時も、メンバーに謝った。みんなニコニコ笑って「没関係(気にしないで)。」と言ってくれたが、思い切り反省。さらに要学習中国語。

 

 

24日(月)

 

 演出の仕事に集中したいと思い始め、先日、演出監督の仕事を辞退したいと申し出ていた。今月いっぱいで、ARK事務所に出向く仕事はあがらせてもらうことになる。ARK ALL STARSの方もしばらく休み、ライブの内容を練り直したり、曲を書いたり、今後の為にたくさん準備するつもりである。

 

左から、“事務のKOUちゃんと共に”、“みんなで食べるランチのひと時”、“TORAさんと打ち合わせ”。

この風景とはしばらくさよなら。