2004年4月 帰海
4月2日(金)
昨年からうんとうんと時をかけて申請していた国際交流基金が、…下りなかった。愕然…呆然…。この基金を元に、今回の上海ライブは日本からも大先輩ミュージシャン陣を連れて、中日交流公演にするつもりだった。ポストにポトンと入っていたその封書は、やたらと美しい日本語で、「残念ながら」と通知されていた。
記念にずっと取って置きたいくらいだ。上海のARKのスタッフと何度も交信して膨大な申請資料を作り、日本領事館にもお世話になって、後援名義にもこぎつけた。半年以上かけた作業だったが、一通の薄い通知で終わりになるものなのである。う~ん。
4月3日(土)
基金が下りず、今回はみんなで渡航する計画が困難であることを、お願いしていたミュージシャン方一人一人にお電話で連絡。みなさん、本当に元気付けてくれた。まだまだチャンスはあるよ。来年もトライしよう。
自分もたくさん企画してチャレンジするけど、すぐにはなかなか実現しないんだ。続けるんだよ、それが大事。
みなさんがくれた言葉の通りだ、と思った。この世界には、外から見るよりなんて心の美しい人がたくさんいるんだろう。心からそう思えた一日だった。
4月5日(月)
がっかりばかりはしていられない。この5月のGWは、私一人が上海に行く事になった。いや、正確には3.5人。金井女史が東京から駆けつけてくれることになった。また、一足先に、シャオマが、船で上海入りすることになっている。私は子連れで飛行機で。当初の中日交流イベントとはグッと変えたメニューにしなければならない。思案思案。
4月10日(土)
まず考えてみた上海ライブの曲目について、シャオマが意見してきた。「これはいらん。これもいらん。」削る削る。そして更に「テレサ・テンは絶対入れるべき。」と言う。彼女は大好きな歌手だが、シャオマは、中でも日本では演歌、ムード歌謡として親しまれている曲目を指定してきた。「演歌は歌えないわ~。」演歌が嫌いなわけではないが、自分のライブで歌うにはジャンル的に抵抗がある。「中国では誰もテレサ・テンを“演歌”だとは思ってないよ。普通のポップスです。」
「う~ん。…う~ん。」「大事なのは上海でライブやって大きい拍手もらう事でしょう。テレサは今でも誰もが知っていて、しかも大好きな歌手です。」
4月11日(日)
しぶしぶメニューを大幅に変える。「いいんじゃない?」とシャオマがいうので、それにそって音資料を作り出した。念の為、ARKのスタッフにも「こんなメニューなんですけど。」と問うてみた。日本人スタッフと中国人スタッフの意見はやはり違っていた。中国側を信ずる事にするか。
4月23日(金)
シャオマが大阪発のフェリーで、上海に向かった。どうしても飛行機の嫌いな人である。2日後の25日には、上海港に着く予定。
4月28日(水)
子連れで関西国際空港に向かう。GW手前なので、報道陣もたくさんいた。日本経●新聞のワッカをつけたレポーターからマイクを向けられた。
「ご旅行ですか?」
「?里帰りです。」
「ご旅行じゃないんですか?」
「いえ、里帰りなんですけど。」
「そうですか、失礼しました。」
旅行じゃなきゃいかんのか!大体、子を抱っこして他に連れも無く、ひいひい言って荷物を牽く私のどこがお気楽トラベラーに見えるのか。午後、上海浦東空港着。
約1年ぶりの上海。あいかわらずどんよりした湿気のある空気。しかし、なんでだかウキウキする街。
今回の上海は、忙し忙し。気力入れて頑張らねば。
久々の上海宅は、思ったよりずっと綺麗だった。
シャオマのお母さんが、留守をずっと見ていてくれた事も有り、数日前に既に到着していたシャオマの掃除好きも有り。大阪のマッチ箱宅より広いので、子も走り回る。やっぱりこっちがええわな~…と、つくづく。
4月30日(金)
カメラマン、恵蓮ぢっぢ、上海入り。
夜便だったので、シャオマと彼のお友達とで、自家用車でお迎えに行く。